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藤花図(大久野の藤)

180x720cm
2015 名古屋陶磁器会館にて

 何千年と生きている樹を前にスケッチをしていると、人間ってなんてちっぽけな存在だろうと思う。その意味では、地球上の生命体の中で最長寿の生き物から受け取るメッセージは大きい。しかし、逆に、桜や藤を見ていると、その樹から毎年、一斉に咲いて散る花の儚さから比べれば、人間はなんてしぶとい生き物だろうとも思う。ふと、足元に目を落とせば、たくさんの雑草が生えていて、それぞれに、美しい形と色をしている。どんな雑草であれ、生きるということはある合理性と機能美を備え、かつ、美しい命の輝きを放っている。
 

 植物ばかりではない。土や石だって、長い年月に作られた生命と言えないだろうか。それらをじっと見ていると、人と同じように愛おしいと感じる。いや、もしかしたら、人そのものを見ているのかもしれない。

 僕ができることは、その輝きを損なわないで、人々の前に提示することだ。僕の芸はそれ以上でも以下でもない。

 東京都日の出町大久野というところに古い藤の樹がある。通常、藤の樹は花をめでるために、人工的に棚が作られたものが多いのだが、この樹は野生で大きくなった樹のため、真ん中にアラカシと杉の樹を抱き込んだまま成長する???。抱き込まれた杉とアラカシは藤の大きなツルによっ強く締め付けられ、成長とともに、そのツルを食い込ませて苦しそうだ。何時間もスケッチをしながら、ふと気が付くと、周りの地面のあちらこちらから、藤のツルが南十本と突き出ていて、別種の樹に巻き付きながら、上へ上へと枝を伸ばしている。
 

 藤の葉や花は、それらの樹をつたって、最上部まで上り詰め、そこで元の樹が受ける光を奪うように生い茂っている。そんな中にいると、一つの生命体が分離して地面から沸き上がり、僕自身がそれらにとり囲まれているような恐怖を感じる。一見する???藤の美しい花のたたずまいと、同時に他の樹種に寄生して育つ生命力の貪欲なたくましさと、それは対照的でもあり、それらの二面性を描ければと思う。

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