襖絵・屏風絵を描く
モネの「睡蓮」が展示されているオランジュリー美術館では彼の絵画作品が90メートルに渡って連綿と繋がって展示されている。鑑賞者の視界全体を絵画が覆い、その中に包み込まれ、その世界に入り込んだような錯覚を覚えさせる。そのような横に長く空間を形作る絵画の見せ方は日本の襖絵に影響を受けたのではないかと僕は思っている。それは多分、絵巻物にも通じる世界観ではないかと思う。時間と空間を一箇所、一点に限定しないで、空間と時間を共有する体験といえば良いかもしれない。西洋絵画が遠近法や陰影法を編み出したのは、その一瞬間に、全てを閉じ込めたいという欲求に駆られたからだと思うが、それとは全く異質の絵画体験である。まさに、モネのオランジュリーの展示はそういう効果を狙ったものだし、日本にもかつてそのような絵の楽しみ方があったんだろうと思う。それを小型化したものが「床の間芸術」と言われるものだと思う。掛け軸があって、生花があって、その前でお茶を楽しみ、その背後に見える外の庭を楽しむ。かくいう包まれるような芸術体験、楽しみ方である。明治以降、西洋の美術館やギャラリーの鑑賞スタイルが芸術の王道となり、切り取られた絵画作品や彫刻作品を美術館で鑑賞するシステムが定着化した。その中で、失くしてしまった、空間として絵画を楽しむあり方を再考して行きたいと思っている。また、同時に、絵を座って観る見方も提唱したい。音楽鑑賞も演劇も鑑賞するときは座っている。座った状態の方がよりリラックスして、感性が解き放たれる。瀬戸内海の直島に「アイラブ湯」という銭湯がある。その銭湯の天井に大竹伸朗の絵画が描かれている。浴槽に寝そべって、それを眺めていると、色と形が、自分の方に降りかかってくるような錯覚に襲われる。心が解き放たれているからだと思う。日本では床の間にしろ、襖絵にしろ、座って楽しむものだ。ゆっくりお茶やお酒を嗜みながら鑑賞することが、とりも直さず、絵画を最大限に楽しめる方法ではないだろうか。幼い頃、病気で伏せっている時に、布団の中から見えた天井のシミが物語を紡ぎ出してくれたように、リラックスした姿勢で芸術を楽しむこと。それが、絵を楽しむことのまた重要な環境の一つだと思う。西洋の制作スタイル、展示方法、鑑賞方法に囚われず、日本や東洋にかつて存在していた絵画体験の楽しみ方をみんなと共有していければと思う。
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