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大楠図 生樹の門 / 野仏図

訪れたのは、8月中旬、夏の一番暑い盛りだ。特にその年は暑で、水分補給のための500ミリのペットボトルを2本買って行ったが、あっという間になくなった。島独特の山肌があらわな岩山と、そのてっぺんから立ち上る夏の入道雲を遠くに見ながら歩く。人がすれ違うのが精一杯という狭い歩道を歩くと、脇の民家に白いユリが数本咲いてる。そばには、使われなくなって数十年は過ぎているだろうと思われる古い井戸と、くたびれたバケツやロープの類い。それを見るともなく見ていると、蝶が1頭、僕の頭をかすめるように飛んでいった。また、しばし歩いてみかん畑を抜けると、その先に大きな楠の菌がある。「生様(いきき)の御門」である。その名の通り、楠の樹自体が生きたまま、お寺への参道の門となっている。少しだけかがむようにして、樹の根っこの下をくぐり抜けると中宮寺という小さなお寺がある。どこといって特徴のない小さなお堂、壁には掃除の時に置き忘れたのか、ぞんざいに竹箒が立てかけられている。狭い境内には落ち葉がそこここに散らばり、雑草が風に揺れている。座って蝉の鳴き声を聴きながらスケッチをしていると、今はいつの時代なのか。木の根示に落ちているワンカップ大関の空き瓶を見つけて我に還る。帰り際に木の葉っぱを仔細に見ていると、あちらこちらに蝉の抜け殻がぶら下がっていた。猛暑の夏ももう終わりに近づいている。島の温泉で汗を流し、外へ出てみると、空と海が真っ赤な夕日で染まっていた。薄暗い山道を駆け足で降りてゆく。僕は何か考え事をしていたんだろう。突然、目の前の光溜まりに目を奪われ、思わず声をあげる。数頭のチョウが、まるで 光溜まりの分身であるかのように舞い出る。羅漢さんは、それらの出来事に無関心なのか、ただ佇んでいる。僕はそっと手を合わせて立ち去った。

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