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オブジェ / インスタレーション / 遊び場 / 肖像画 / 写真と言葉

大学の日本画科を卒業してから、七、八年くらいはオブジェやインスタレーションの仕事をしていた。日本画の生ぬるい保守性に嫌気がさしていたからだと思う。その分、ジャンルに囚われずに、様々なことをやってきた。ここに挙げたのは一部である。なんでも、興味が向けばトライする性格は今でも変わっていないと思う。そんな中、日本画に戻るきっかけを作ってくれたのは院展の伊藤影耳先生との出会いであった。日本画のデパート展に誘われた時に、当時作っていたインスタレーションの作品を出品すると言ったら、展示の仕方を大真面目に考えてくれた。ジャンルの枠に囚われていたのは自分の方だと気がついた。日本画にきっちり仕舞いを付けようと思った。それから、二〇年、今でも日本画を描いている。感謝感謝。大学出てしばらくは、オブジェやインスタレーションの仕事をしていた。自分の体から型をとって、樹脂を流し込んで整形をしたり、そこに社会的なメッセージを組み入れたりして展覧会も何度か開いた。今思えば、日本画と現代美術を相対化させ、日本画を理解することや、「描く」ということの意味を問う上で大切な期間だったと思う。急がば回れ。 / プレイステーションの遊具子どもたちの遊び場をサポートするNPOで何年か活動を続けていた。その中で、大型遊具を作ったり、ターザンロープや大型ハンモックを設置したり。この遊具も本人は気に入っていたが、危険とのことで、すぐに壊されてしまい。残念。 / 子どもが恐竜好きだったので、誕生日に段ボールで恐竜を作ってプレゼントすることにした。全部で6体作った。 / 遊び場の大型遊具からイメージしてデザインしたものを発注して作ってもらった。150号で友人たちの肖像画を描いた。その大きな作品を軽トラックに積み込んで渋谷の街中から湾岸にかけて車で流した。モデルのK君に運転してもらって、その様子を撮影しながら、それを映像作品にしたが、今どこへ行ったのか。展覧会などとは違う面白さがあった。今でも、イベント好きなのはその辺にルーツがあるかもしれない。 / 高校で長い期間講師を務めた。その間、たくさんの生徒に出会った。特に美術部のみなさんとは楽しく過ごさせてもらった。僕はですけど。彼らは、大人とは違って、「まっすぐ」だった。そんな姿を写真と言葉で表現してみたいと思った。彼らの肖像と彼らの絵画と彼らの言葉をまとめて高さ2mx幅4.8mの作品とした。「自由つまらない」「今、1秒過ぎたら過去になる。」彼らの言動はスリリングで面白かった。 / 名古屋陶磁器会館で陶芸の絵付けをやらせてもらった。 / Tシャツを作って欲しいとのリクエストで描いてみる。描くのは楽しい。

P57/P58

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